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東京高等裁判所 昭和63年(う)1075号 判決

本籍並びに住居

神奈川県横浜市南区平楽一三三番地の一一

会社員

南勝郎

昭和一八年一二月一六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年八月二二日横浜地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官平田定男出席の上審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人宇野峰雪名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官平田定男名義の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、1 昭和五九年末における現金有高について 被告人は、普段一〇〇〇万円位を所持していると供述しており、昭和五九年一二月二九日に二〇〇〇万円、同月三一日に一〇〇〇万円を引き出しているが、これは同月二九日に引き出した二〇〇〇万円を給与その他の経費の支払いに充ててしまったため、さらに同月三一日に一〇〇〇万円を引き出したのであって、同月二九日に引き出した二〇〇〇万円がそのまま同月三一日まで残されていたとみるのは経験則に反する、2 昭和五七年末における林龍沢に対する貸付金について 被告人のこの点に関する供述には変遷があり、その内容も不自然かつ作為的で、査察官の誘導に合わせたに過ぎないものであって、昭和五六年末及び同五八年末における同人に対する貸付残高がいずれも一億五〇〇〇万円あったとするならば、経験則上同五七年末においても一億五〇〇〇万円の貸付残高があったとみるべきである、3 昭和六〇年末における預かり金について 被告人は各店長に対して、単に給料を一〇〇万円払う等と約束しただけであって、手取り額を保証する趣旨の契約はしていない上、被告人は各店長に給料を支給する際、源泉徴収すべきところをしないで、そのまま給料を支払ったに過ぎないから、源泉徴収税額は各店長に支払われた金額を基として計算すべきである。しかるに、原判決は、大蔵事務官作成の現金調査書、貸付金調査書及び預かり金調査書に依拠して、1については、昭和五九年一二月二九日に引き出した二〇〇〇万円がそのまま同月三一日まで残っていたとして、同年末における現金有高をその他の現金を含め三九〇五万円とし、2については、昭和五七年末における林龍沢に対する貸付金残高を零とし、3については、被告人が各店長に対して支給した給料は、手取り金額とみるべきであるとして、支払済みの給料から源泉徴収しながら国へ未納付になっている源泉所得税相当分を預かり金勘定に計上し、以上の誤った事実認定を前提として所得計算をしたため、被告人の所得金額及び脱税額を誤認する結果を来しており、右は判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認に当たる、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討すると、右各主張に対する個別的検討において後述するように、右1の主張は原判示第三の関係において、3の主張は原判示第一ないし第三の関係において、いずれも不利益事実の主張に当たり失当たるを免れない上、関係証拠によれば、原判決は大蔵事務官作成の現金調査書、貸付金調査書及び預かり金調査書等に基づき所論の指摘する右1ないし3の各事実を認め、かつ、これらを基礎として所得金額及び脱税額の算出をしていることが認められるところ、右各調査書はそこに資料として掲記されている被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書等各種資料の主要部分を抜粋して表示するとともに、これらを取りまとめて調査結果としたものであり、被告人は、原審において、事実を全部認めて争わず、右各調査書を含む検察官請求の証拠を全て同意し、それらの証拠の証明力についても争わなかったのであり、かつ、記録を精査してみても右各調査書の証明力を否定ないし減殺させる証拠はなく、かつまた、それら調査書の内容に疑いを差し挟まざるを得ないような点は認められないのであって、右各調査書を含む原判決挙示の各証拠を総合すれば原判示の各事実を優に認めることができる。所論に鑑み、以下若干付言する。

1について 本件は、昭和五八年度、五九年度、六〇年度の各所得を財産増減法により確定しているので、昭和五九年期首及び昭和六〇年期末の現金有高がそのままの金額である以上、その中間の昭和五九年期末すなわち昭和六〇年期首の現金有高のみが所論のいうように過大であり、これをより減額したものとみるべきであるとしても、原判示第二の昭和五九年度の現金増減額ひいては所得額がいずれも減少する反面、その減少した分だけ原判示第三の昭和六〇年度の現金増減額・所得額がいずれも増大することになり、脱税額の増大をもたらすことになるので、所論1は、原判示第三の関係においては不利益事実の主張に当たり、失当といわざるを得ない。そこで、原判示第二の関係で検討するに、大蔵事務官作成の現金調査書は、同事務官作成の東京協和信用組合本店に対する検査てん末書、被告人に対する昭和六一年九月六日付け、同年一二月一二日付けの各質問てん末書により、被告人に帰属する同信用組合本店の金城信一名義の普通預金口座から昭和五九年一二月二九日二〇〇〇万円が引き出され、さらに、同様被告人に帰属する大倉孝名義の普通預金口座から同月三一日一〇〇〇万円が引き出されていることが明らかであるところ、この現金は他に流用された事実のないことから、同年末に被告人がこれら現金を所持していたものと確定したというのであり、所論がいうように、余り間を置かずに預金が二度にわたって引き出されている場合、先に預金から引き出した現金を支払い等に充てたものの不足が生じ、あるいはさらに現金を必要とする事情が生じたため、後日また預金から現金を引き下ろすということは当然ありうることであるが、必ずしもそのような場合だけに限られるわけではないこと、所論のいうように右二〇〇〇万円が給与その他の経費に充てられたことを窺わせる証拠はないこと、被告人はこれら二〇〇〇万円及び一〇〇〇万円につき大蔵事務官から質問調査を受けて、このような大金を年末という時期に引き出した理由・支出先等につき調査検討し、あるいは記憶喚起に努めた上回答したものと推認されるところ、所論のいうようにこれら預金から引き出された金が昭和五九年末までに給料等経費に充てられているならば、当然担当官にその旨説明すれば足りるところを、被告人はそのような説明はなんらしていない上、被告人はそれらの大金を預金から引き出したものの昭和五九年末迄にはこれを使用することなく越年した旨述べたことが窺えるのであって、この三〇〇〇万円が昭和五九年中に費消されたにせよ、昭和六〇年に持ち越されたにせよ、昭和五九年、六〇年の両年度を通じれば総体としての現金増減額・所得額にかわりはなく、累進税率の関係上、いずれの年度において費消されたかによって税額上は若干の差は出てくるものの、それほど大きく影響するものではないことなどからして、大蔵事務官がこの点に固執して無理に調査書の結論を導き出したものとは認められないことなどを総合すると、昭和五九年末における現金有高を右二〇〇〇万円及び一〇〇〇万円を含む三九〇五万円としたことが経験則に反するとはいえない。

2について 大蔵事務官作成の貸付金調査書によれば、被告人は当初貸付先の氏名・住所等を明らかにすることを拒んでいたが、昭和六一年九月二日付けの質問てん末書において、昭和五九年末に購入した山之内製薬の株式購入資金に関連して、同年末に林龍沢に二億円の貸金残高があったことを明らかにするに至り、昭和六一年九月四日付けで林龍沢を含めた貸付先・住所を記載した申述書を提出したことから、これに基づき借主側に対し文書照会及び反面調査が開始されるようになったこと、その後、被告人は同年一一月四日付け質問てん末書において、林龍沢に対して、昭和五六年三月ころから貸し付けを始め、徐々に貸付が増加していき、同年一〇月ころには一億六〇〇〇万円になっていたと述べたほか、昭和五八年末には一億五〇〇〇万円の貸金残高が、昭和五九年末には二億円の貸金残高があったと述べたが、ここでは昭和五七年末の貸金残高には触れていなかったこと、さらに、被告人作成の昭和六一年一一月一一日付けの「林龍沢に対する貸金」と題する申述書において、「昭和五六年一〇月に一億六〇〇〇万円あった貸金は、同年末には一億五〇〇〇万円になり、順次回収していき、昭和五七年末には同人に対する貸金は無くなったが、昭和五八年二月ころから再び貸し付けを始め、返済と貸し付けを繰り返しながら増加して行き、同年末には貸金残高が一億五〇〇〇万円に、昭和五九年末には二億円に達し、この二億円は昭和六〇年一月にいったん全額返済を受けたが、四月ころからまた五〇〇〇万円ずつ二回貸し付けたのち、数回に分けて返済を受け、同年一一月末には全額返済を受け、同年末には貸金残高はなくなった。」旨自ら貸借関係の内容、その変遷を詳細に記述して提出し、昭和六一年一一月一九日付けの「貸金の残高等について」と題する申述書において、各年末の貸金残高を一覧表にして説明を加えていることが認められ、これら被告人の大蔵事務官の質問に対する回答及び申述書の内容に不自然さや作為は窺えないこと、借主の林龍沢は昭和六一年五月二五日に既に死亡しており、同人の身内や周辺の者も同人と被告人との間に貸借関係があったことは知っているものの、その日時、金額、返済状況等の詳細は了知しておらず、この貸借関係を明らかにし得るのは被告人のみであることに照らし、右各質問てん末書及び申述書が査察官の誘導に合わせたものとは認められないことなどを併せ考えると、林龍沢に対する昭和五七年末における貸金残高が零となっていたものとして、これを前提に所得及び所得税の計算をした原判決に誤りがあるとは認められない。

3について 大蔵事務官は、預かり金調査書において、被告人が店長に支給していた高額な給料は、営業名義を店長とし、かつ、警察の手入れに対する危険負担を含むというゲーム喫茶業界の特殊性を考慮した場合、税込金額ではなく手取り金額とみるべきであるとした上、被告人が店長等に対する給料の支払時に徴収して納付すべき源泉徴収税相当額が被告人の資産の一部を形成していると認められるので、未納の源泉徴収税相当額を預かり金として負債勘定に計上したとし、原判決もこの処置を前提に被告人の所得及び所得税額を算出しているところ、所論は、被告人が店長等に支給していた給料は税込金額とみるべきであり、被告人は源泉徴収すべきところをしないで給料を支払っていたに過ぎないというのであるが、所論に従えば未納の源泉徴収税相当額を預かり金として負債勘定に計上することはできないことに帰し、その結果所得額及び脱税額の増大をもたらすことになるから、所論は不利益事実の主張に当たり、失当といわざるを得ない。所論は、店長等の給料を税込金額とみる方が、手取り金額とみた場合よりも源泉徴収税額が少なくて済むことを理由に、被告人にとって有利な主張であるとするもののようであるが、本件は源泉徴収税額の確定を直接の目的とするものでも、源泉徴収して納付すべき所得税を納付しなかった罪(所得税法二四〇条一項)の刑責を問うものでもなく、被告人自体の所得についての脱税の刑責を問うものであって、所論の挙げる理由を以て不利益事実の主張に当たらないとすることはできない。

所論はいずれも理由がない

控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について

所論は、要するに、被告人に対する原判決の量刑は、重過ぎて不当であり、刑の執行を猶予すべきである、というのである。

そこで記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討すると、本件は、ゲーム喫茶を営んでいた被告人が、営業していた店舗の経営名義人を他人とし、その他人が経営者であるかのように装うとともに、売上金の一部を架空名義で預金する等の不正な方法により所得を秘匿し、昭和五八年、五九年、六〇年の三事業年度の実際所得金額が合計六億〇四四一万八八五四円であったのにかかわらず、いずれの年度においても、所得税の納付期限迄に所轄税務署長に対し所得税確定申告書を提出しないで納付期限を徒過させ、三事業年度における合計三億九三四六万三九〇〇円の所得税を免れた事案であって、本件の罪質、ほ脱額が巨額であること、不正の行為をともなう無申告事犯であること、ほ脱税率が一〇〇パーセントであること、強い金銭獲得欲から敢えて手っ取り早く違法なゲーム機賭博等により収入を挙げた上、できるだけ多くの金を手元にとどめるべく収入を秘匿するなどして脱税し、株式を仮名で購入するための資金に充てたり、貸金の元金に充てるなどしていたもので、犯行の動機・経緯に酌むべきものはないこと、脱税の手段・態様も計画的で巧妙であること、被告人には、賭博罪で四回、その他の罪で三回罰金刑に処せられたほか、昭和五七年二月九日には常習賭博罪で懲役一〇月、執行猶予三年に処せられた前科があること、右執行猶予期間中に本件犯行に及んでいること、かなり多額の重加算税及び延滞税が未納となっていることなどを総合すると、本件犯行は重大かつ悪質であり、被告人の刑責には重いものがあるといわざるを得ない。

してみると、被告人が本件を深く反省悔悟していること、本件対象年度の本税全額と重加算税の一部を支払い、原審結審後にも重加算税の一部六〇〇万円を支払っていること、被告人方の家庭の状況、妻の健康状態、被告人の実母や子供から寛大な処分を求める旨の上申書が提出されていること、その他記録から窺われる被告人のため酌むべき情状を最大限考慮してみても、被告人に対し刑の執行を猶予すべき情状は認められず、被告人を懲役一年八月及び罰金一億円(ほ脱税額の約二五パーセント。換刑処分一日につき金二〇万円)に処した原判決の量刑が重過ぎて不当とはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺澤榮 裁判官 朝岡智幸 裁判官 新田誠志)

○控訴趣意書

被告人 南勝郎

右被告人に対する所得税法違反被告事件につき、控訴の趣意は後記のとおりである。

昭和六三年一一月三〇日

右弁護人 宇野峰雪

東京高等裁判所

第一刑事部 御中

第一 原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある。

一 被告人は、原審公判において公訴事実を認めており、また、取調の過程において公訴事実を認める供述をなし、国税の調査によって示された数字をもとに、昭和六二年二月三日、昭和五八年、五九年、六〇年の三年分について確定申告書を横浜南税務署に提出したことが明らかである。

それにもかかわらず、控訴審において事実誤認の主張を行うについては、今更という感じを否めないであろう。

しかし、一般に被告人たるものが、法的に認められる限りは、執行猶予の判決を期待することは人情のしからしむるところであり、本件被告人がひたすら執行猶予を期待して、事実を認めてきたところがあることも、証拠を検討する中で明らかになってくる。

原審で実刑言渡しを受け、それが自ら招いたものであり、かつ判決が当然であったとしても、被告人にとって、言いたいことも言わず、恭順の態度を示してきたことにホゾをかむ思いをもったとしても、これを笑うことはできない。

右のとおり、被告人が公判において事実を認めたので、公判廷に提出された証拠は、東京国税局収税官吏の作成した各種調査書が中心で、その基であって調査書に引用されている各質問顛末書等は、提出されることがなかった。

従って、被告人としては、これらの所得推計の基礎たる資料を検討する余地がなかったものである。

さらにいえば、もともとが所得の確定について、帳簿その他の証憑書類がなかったのであるから、が査察官の調査による追及に対しては、事実をもって反論することの困難があったのである。

二 被告人は、昭和六三年六月三〇日に、昭和五九年確定申告分残額一億五、七二三万六、七〇〇円、六〇年確定申告分一、〇二二万七、二〇〇円、及び昭和五八年分重加算税三、二五三万六、一〇〇円を納付したが(弁護人請求番号一八~二〇-記録第三冊六九二丁~六九四丁)、これらの資金は、昭和六一年三月二五日査察を受けた時点で有した財産(昭和五八年以前に取得した不動産は除く)を処分しても賄いきれるものではなかった。

被告人は、これらの資金を、有限会社薩南商事の名で横浜商銀信用組合から借受け、自己の不動産を担保に供したが、この不動産を処分しても、なお国税を支払うに足りない状況にある。

このように被告人が昭和五八年一月一日より以前から有する財産すべてを処分してもなおほ脱税額を納付できないという事実は本件においてはほ脱税額の推計が正しく行われなかったことを示しているということができる。

すなわち所得金額の計算において、過大に見積られたというほかないのである。

三 現金について

原判決が証拠として摘示する大蔵事務官作成の現金調査書によれば、昭和五九年末における現金有高を三、九〇五万円としている。(第二冊二一丁)。

そのうち二、〇〇〇万円は一二月二九日預金を引出したもので、更に一、〇〇〇万円は一二月三一日に引出したものであり、「これらの現金は他に流用された事実」はないというのである(同二二丁)。

しかし、右の認定は誤りである。

すなわち、五七、五八、六〇年については、普段一、〇〇〇万円ぐらいを所持しているという被告人の供述を採用しているにもかかわらず、五九年についてはこれを無視しているのである。

一二月二九日に引出された、二、〇〇〇万円は、給与その他経費の支払いに充てられたものと見るべきで、したがって、さらに一二月三一日に一、〇〇〇万円を引出しているのである。

一二月二九日に引出された二、〇〇〇万円がそのまま一二月三一日に残されていたとみるのは経験則に反するといわなければならない。

四 貸付金について

原判決が証拠として摘示する貸付金調査書によれば、昭和五八年末分にその合計は二億八、四〇〇万七、三七〇円とされ、うち林龍沢に対する貸付金として一億五、〇〇〇万円があるとされている。(第二冊一二〇丁)

一方昭和五七年末分については空欄になっていて他の記載のない部分に「一」の記載がなされているのに較べると異例である。

これは単なる誤りということはできない。

確定方法の説明(同一二一丁以下)によれば、被告人の供述内容が当初から一貫していなかったことが窺われる。

特に林龍沢については、被告人は、昭和五六年一〇月には一億六、〇〇〇万円貸しており、五八年末には一億五、〇〇〇万円、五九年末には二億円の残高があった旨述べていたのである(同一二五丁)。それがのちに、五六年一〇月の一億六、〇〇〇万円が、同年末には一億五、〇〇〇万円になり、順次回収していき、五七年末にはなくなったと変わるのである(同一二七丁)。

それが、昭和五八年二月頃から再び貸付をはじめ、返済と貸付とを繰返しながら増加して、五八年末には一億五、〇〇〇万円となった(同)というのであってみれば、昭和五七年一二月末において〇となったというのには作為的な印象を免れない。

昭和五六年末に一億五、〇〇〇万円貸付残高があり、かつ昭和五八年末にも一億五、〇〇〇万円の貸付残高があったとするならば、経験則にしたがえば、昭和五七年末においても、同様一億五、〇〇〇万円の貸付残高があったとみるのが相当である。

内堀和男の申述書には、借入れが昭和五八年頃から始まって、五九年頃が最も頻繁に借入れていた旨の記載があるようである(同一二九丁)がこの内容が真実を伝えるものでないことは先の被告人の供述の内容と対比してみて明らかである。

前述のとおり被告人の供述内容が変わったのは、不自然であって作為が感じられるところであるが、被告人としては査察官の誘導に合わせること以外になかったというのが実態であった。

五 預かり金について

原判決が証拠として摘示する預かり金調査書によれば、給料から源泉徴収していた源泉所得税の昭和六〇年末における残高が一億二、一二二万四、二四五円だというのである(第二冊三二五丁)。

店長の高額な給料には、営業名義を店長とし、かつ警察の手入れに対する危険負担を含むという業界の特殊性を考慮した場合、税込み金額ではなく手取り金額が妥当と判断したというのである。

しかし、右の判断は誤りというほかない。

各店長の供述は単に給料を一〇〇万円払う等と約束したというだけであって、手取り額を保証するという意味合いを含んでいないことは明らかである。

その中から源泉徴収するべきところしないので、そのまま給料を払うというにすぎないのである。

仮に、原判決のような考えに立てば、当然加入すべき労働保険や社会保険の保険料等の費用負担も被告人において行うことになるが、これらには加入しないのでその費用負担が現実にはないであろうとして、本人に渡していると考えるべきである。

源泉分を被告人において負担する趣旨の契約であるということになれば、むしろ店長らはその分を含めて請求することになるのであろうことは自ら明らかである。

この問題は、負債勘定に計上するから被告人に利益だと考えるわけにはいかない。

これを負債勘定にあげることによって、それに見合う資産勘定を拡張しようとする意思が働くおそれがあるのである。

本件において前述した現金、貸付金の認定を誤ったのも、こうしたことと無関係とは考えられない。

さらに、こうした計算によって、被告人は所得税とは別に不当に高額な源泉徴収税の納付を求められるのである。

源泉徴収税は各店長に支払われた金額をもととして計算されるべきが当然である。

六 以上、三乃至五において述べてきた事実の誤認は、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであって、原判決は破棄を免れない。

第二 原判決は刑の量定が不当である。

一 原裁判所は被告人に対し、懲役一年八月及び罰金一億円の判決を言渡した。罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間被告人は労役場に留意されることになるから、その期間は五〇〇日すなわち一年四月余である。懲役一年八月と合わせると拘束は三年余となる。

先に述べたとおり、被告人はほ脱税額を完納すべく努力をしてきたが、従来から有していた土地建物を売却してもなお税金を払いきれないほどの額である。これは畢境、所得金額を誤ったというほかないのであるが、被告人がこの罰金額を任意に納付する見込は極めて乏しい現状である。

二 被告人は一四年にわたって住んできた現住建物以外にもはや全く資産を失った。

そればかりか、今やこの土地建物を手放さなければならなくなっている。

しかし売却したとしても、被担保債権額の弁済さえどうかという状況にある。

被告人自身は、また裸一貫でやり直しであるが、家族のことを考えるとき、いたたまれない気持ちである。

三 被告人は賭博を繰返し罰金の前科を重ねた上、昭和五七年には常習賭博で執行猶予の言渡しを受けた。

それにもかかわらず、同じ仕事を続けてきたので、因果応報、悪銭身につかずの感を深くする。

しかし、人は後悔し、反省し、また立ち直ることができる。

どこでその自覚をするかである。

多くの人は罪を犯すことなく人生を歩いている。

ときに罪を犯し裁判にかけられる人がいる。逮捕されたことや、裁判にかけられたことをきっかけに立ち直る人も少なくない。

一度の執行猶予を受けてまだその反省が十分できない人もいる。

そういう人でもさて実刑の判決を受けて愕然となることは川本浩司「交通刑務所の朝」(恒友出版)がよく示している。

被告人は、今まさに本当の意味で悔悟と反省を迫られている。

これまでの生き方を根本的に改めなければまた同じ人生を歩むことになる。

今回添付した母親と娘の上申書は、裁判官に訴えるだけではなく、被告人自身にするどい刃を突き付けている。再びこんな辛い目に遭わせてほしくないと。

遅まきながら、ようやく被告人も立ち直るきっかけをつかんだといえる。

それにしても被告人の置かれている環境はきびしい。

四 誰も、法律上可能であるなら執行猶予にしてほしいと願っても不思議ではない。

先の執行猶予のときは、同じ仕事から手が切れていなかった。

今は、すべての店舗の契約を解消し完全に以前の仕事と遮断されている。再び被告人が手を出すことがあれば、それは自殺行為であるだけでなく妻、子、母を裏切ることとなる。

もう一度、被告人自ら更生する努力を試みさせる事は許されないだろうか。

弁護人としては執行猶予の言渡しを願うや切である。

以上

添付書類

一 土地登記簿謄本(横浜市南区平楽一三三番二五)

二 右同 (同所一三三番一六)

三 右同 (同所一三三番一一)

四 ゴルフ場会員券売買契約書(横浜国際ゴルフクラブ)

五 右同 (伊豆下田カントリークラブ)

六 右同 (太平洋ゴルフクラブ)

七 納付書・領収書(六三・ 八・二)

八 右同 (六三・ 九・一)

九 右同 (六三・一〇・一)

一〇 上申書(南フチ)

一一 右同(南君江)

〈省略〉

上申書

氏名 南フチ(南勝郎実母)

生年月日 明治四十年三月十日生 八十一才

住所 鹿児島県日置郡伊集院町恋ノ原一七〇五

突然の御無礼をおゆるし下さい。私、南勝郎の実母の南フチで御ざいます。一九年前に夫と死別、それいらい、田舎で細々と一人で暮して居ます。

生計は、そのほとんどを息子(勝郎)の仕送りにたよってこれまで生活して参りました。

私は、現在八十一才の高齢ですが、か去にくもまっか出血で二度たおれ、白内しょうの手じゅつ、腰つう、関節つうなどで入院し、現在も腰つう関節つうなどで通院しております。

ふりかえって見ますと、末っ子の勝郎が生まれる頃は、鹿児島市内で商業を営んでおりました。昭和二十年の空しゅうで、二度もやけ出され、それいらい夫の郷里でほそぼそとのうぎょうのかたわら行商をしながら子供たちを育てて参りました。

子供たちもそれぞれ家をはなれ、現ざいは田舎で一人でくらしておりますが、生活ひは息子勝郎の世話になっております。

この度、このような事件の話しを聞き、とてもびっくりし、かなしく思って居ります。聞きますと、きっさ店の収にゅうがたりず、ゲームきにたよるようになったとの事、又仕事の内ようがら正しい申告ができなかったとの事、本当に無知な母親ではありますが、このようになってしまった事をはづかしく、かつ、申しわけなく思っております。

息子には十分言い聞かせましたが、すでに、社会的な制さいもきびしく家族みんなで苦しんでおります。

勝郎の妻も病気がちであり、二人の子供もまだ中学生で、これから父親の存在がもっとも必要な時きですので、なんとか息子が世の中ではたらいて税金をおかえしする方法をおとり下さいますようにおねがい申し上げます。

息子も一生けんめいにはたらいて納税する事をちかっております。

どうぞこの老母のおねがいをお聞きとどけ下さいますよう心よりおねがい申し上げます。

十一月六日

勝郎実母南フチ

裁判官様

裁判官様

私が小学校を卒業して春休みの三月二十五日、税務署の人達が大勢家に来て、調べ事をしていたとき、私は怖くて布団の中にいました。

あとで父に聞いてみると、父が税金を支払いする分があるので、その調べと聞きました。

あれから三年近く、色々と家族で悩みました。今現在家も売りに出ていますし、車も何もかも売ってしまいました。

私の父は、人の良い、優しい父だと思います。ボランティア、福祉関係の方でも何度か私と一緒に役所に行き、恵まれない人々のためにと言って寄付をしてきました。それに私の障害児の友達とのクリスマスパーティーのときにも楽しく過ごすようにと言って、寄付をしてきたりしました。

確かに、税金を支払わなかったことは悪い事です。

十五才になって、今まで育ってきた家も売り、何もかもなくなるほど税金を支払ってきてします。

今、父が刑務所に行く様になると、クローン病という病にかかっていて、月の半分は床についている母、中学二年の弟とそして私、これから先、どのように生活して行けばよいのか分かりません。

裁判官様、税金の残りは、父が一生懸命働いて支払って行くと思います。

払う気持ちがあっても、刑務所に行ってしまっては、何もできません。又、母や私たち兄弟は生活していくこともできません。

どうか父の罪が少しでも軽くなるように……

よろしくお願い致します。

昭和四十八年六月十二日生れ

長女 南君江(十五才)

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